長崎の原爆資料館へは高校の修学旅行で行きました。
ですが、正直高校生の私にはその意味を正面から受け取る準備はできていなかった。
30を前に、今日、原爆ドーム・平和記念公園・平和記念資料館を訪れました。
時を超えて心に刺さる声
資料館内はフラッシュを使わなければ撮影可能でしたが、とてもそんな気分にはなれませんでした。
唯一、撮ったのがこの写真。
そう。原爆の時間で止まった時計。
この瞬間にどれほどの命が失われたのか。今もなお正確な数字はわからない。
多くの小中学生が見学にきていました。
が、正直言って、彼らにこれらを正しく受け取るだけの準備はまだできていないと思います。
きゃあきゃあと声をあげ、そしてそれらを「フラッシュ撮影禁止」と書かれているにも関わらず、フラッシュを使って撮影する引率のカメラマン。
そんな彼らがここを訪れる意味は、申し訳ないけれど私には感じられなかった。
多くの外国人が訪れているのが印象的でした。
館内の展示にはすべて英訳が振られており、それを熱心に読んでいる外国人。
彼らの目に、彼らの心に、この事実はどのように映っているんでしょうか。
時空を超えて、叫び声が聞こえる
原爆の子の像に訪れ、涙している老人がいました。
それを見て、私は涙を堪えられませんでした。
その老人の叫び声が聞こえた気がしました。
その老人が聞いている叫び声を、私もまた聞いた気がしました。
何かが胸に直接響いてきました。
戦争。
私はそれを史実としてしか知りません。歴史の授業で教わった程度のことしか知りません。
だけど、それはそう遠い過去の話でもなく存在した事実であり、今なお直接または間接的に戦争の被害を受けた人はたくさんいるんだということを、我々は忘れてはいけないんだと思います。
すべての犠牲者に追悼の念を。
この過ちを繰り返さないために。
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